2011年3月16日水曜日

ロシア見学日記①

 地震でアタフタして落ち着かない日々ですが、いい加減旅行での出来事や感想を書き置きしてかないと忘れてしまいそうなので、ここに記すことにします。
 「見学」としたのは、今回の海外渡航が個人的に旅行気分ではなかったことと(何故かは言わないが)、普段あまりメディアの映像にのることのないモスクワやペテルブルグの街並みがどのように自分の目に映り、どのように解釈するのであろうか、という五感的な課題があったからである。観光というよりは視察、旅行というよりは見学と捉えられればいいのではないであろうか。

 「GO WEST」という有名な曲がある。この曲の中では、西=西海岸であるが、我々極東の人間してみれば、西に行くということはヨーロッパにいくこと、といっても過言ではないだろう。それは中国でも中東でもない。中国はあくまでお隣りであるし、中東は模範とすべき国家として今までお手本にしてこなかったからだ(開発の余地はあります)。然し、西欧という言葉は、あくまで欧州の中での位置関係に過ぎないが、ここfar eastの人間にとっては、そのまま地球全体の地理感覚に当てはめることができる。たまたま「西欧」という言葉と、西欧が地理的に西に位置しているという、奇妙な一致点は、少なくとも自分のなかでは興味深い特異点を形成している。アメリカ人は西欧にいくために、東にいくのだ。この言葉の上でも齟齬はすこしもどかしい気がする。西欧にいくために西進する。なんとも素直で小気味よい響きではないだろうか。西欧にいくために東進する。天邪鬼で打算的な匂いがする。

 西側諸国、東側諸国という言葉が冷戦時代に使われた古めかしい四字熟語である。西側に含まれるのは、西欧、そしてアメリカ。東側に含まれるのはソ連、東欧。あたりまえだが、基準となる地理は欧州大陸である。旧ソ連、現在のロシアに行くために、極東の人間は西進する。対して東側諸国に西進するのである。これはいかんとも素直な表現ではない。なにかしら言語表現の上での矛盾を感じる。

 この矛盾感は、地図を片手に移動する前進しているにも関わらず、地図上では下向きに移動している時、そして同様に移動者である自分は右折しているのに、地図では左方向へと向きを帰る時に感じる、方向感覚の修正に近い。これは三半規管が担う身体感覚の問題ではなく、北=上若しくは前という北半球の暗黙の了解があるからだ。言い換えれば文明国が敷いた眼に見えない度量衡として捉えることができる。

整理してみよう。前者は、物理的世界での地球レベルの方角と、地政学的・歴史的な大陸レベルの
地域呼称との不一致、後者は縮尺の大きい地図上での方角と、前後左右という局所的な身体感覚によって引き起こされる違和感である。「物理的世界での地球」と「大陸レベルの地域」がもつスケール差の倍率は、「縮尺の大きい地図」と「局所的な身体感覚」のもつそれは近い数字である。また、「物理的世界での地球」とはいえ、地球を観てきたわけではないから、それは映像であったり、世界地図であったりするわけで、その点において、「縮尺の大きい地図」とカテゴリーを同じにする。同様に地政学的・歴史的が人為によるものであるならば、身体感覚が規定する仮説的な方角(北=上)もまた人為である。感覚が近いといったのはこの点にある。

個人的な心象論に過ぎないが、これらの齟齬は何らかの方法で解消しないと、いつまでも私の中でくすぶり続けるだろう。

北が上であるという見方は、ただ単に北半球に文明国が数多くあったという理由であり、何故そうなのかと言われるならば、それは北半球の方が南半球よりも地表面積の割合が多いからである。そしてその直接的原因は地球のプレートテクトニクスであり、つまり、北が上であることを定義づけたのは、地球そのものであり、それは宇宙であり、ビックバンである。なので、この我々の身体に染み付いた「北=上」説は不問に帰したい。意見があるなら、それを聞き入れてくれるのは、神の他いないだろう。

よって後者の問に関してはこれをもって解決としたい。不服があるならば、最後の審判の時に上申すればよかろう。あなたを止める人は誰もいない。

前者も簡単に解決できる。そしてこちらは神に意見立てする必要もない。ただ地球儀を見さえすればいいのである。そうすれば、西方がインドの方角であることが立ちどころにわかるだろう。東方は南米だ。西欧にいくのに西進することができるのは、文字通り東欧の人しかいないことがわかるだろう。言葉の上でも齟齬などなにもなかったのである。もとより表現それ自体が間違っていたのだ。

全てはラディカルに解決し、全ての問が自己矛盾していた。

しかし一連の自問自答を通して、疑問は未だ残る。

果たして、東西南北の方角そのもののスケールとはいったいどの程度のものなのであろか。

日本の東が北アメリカ、と答える人の割合は相当なものであろう。北東貿易風とはいうものの、その名づけ方は局地的観測をもとにしたものである。まして極東は日本ではなく、インドあたりのはずだ。
これらの事実をみると、東西南北のスケールは少なくとも地球レベルではなく、意に反して小さい事がわかる。その理由はなんであろうか。いくつか考えられる。
ひとつにはメルカトル図法による影響が甚大であろう。あの地図を見て東が南米だといわれたら、教室中の笑いものとなるに違いない。
ふたつに、人間の生活半径が通常狭く、そのなかでの常識を地球に当てはめてしまうことに起因するだろう。
まだあるかもしれないが、これらの理由の背後には、二次元平面と二次元球面の把握能力の間に隔たる大きな溝、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学に対する理解の差などに現れる、我々の二次元的頭脳、そして染み付いた「北=上」説があるだろう。これらの問題解決は、半ば無理があり、手段として我々の空間把握能力の抜本的進化意外に望めない。
ただ分かるのは東西南北のスケールは非常に小さいことである。小さいというより、二次元平面的な発想であるのだ。地球が丸いということが分かる以前に考えられた平面把握の為の手段であることに気づくだろう。
となると、二次元球面の地球上における、東西南北によらないなにか違う方角の概念と呼称があれば、それは我々の地球空間把握の手助けになるに違いない。既にあるかもしれないが、私は知らない。

別の方法として、それでも地球を二次元平面に置き換える方法がある。B・フラーのジオデシックマップがそれである。これを見れば、そこにもはや東西南北の別が無いことに気づくであろう。二次元球面上における新しい方角の概念の登場とその膾炙を待つ間は、この地図に現れる大陸をもって、地球空間の把握としよう。

そういうわけで、話はながくなったが、私はモスクワに西進したのではなく、北北西に進路をとったのであった。

続く。

2011年2月11日金曜日

Project Russia

http://www.google.co.jp/search?rlz=1C1SKPC_enJP327JP327&sourceid=chrome&ie=UTF-8&q=Project+Russia

こちらの雑誌、まさに俺のためにあるといっても過言ではない(過言です)。

とりあえずGAに聞いてみよう相談しようそうしよう。

バックナンバーあるかな?

ちなみに、Project Siberiaは露語only。スラスラと読める日迄お預けなう。

2011年1月9日日曜日

所用で船堀行ったついでに江戸川競艇場いって、ついでに勝っちゃった。















用事があったため、船堀にまでいったところ、江戸川競艇場の文字がでかでかと見えたので、試しに馬券?買ってみました。

といっても買いかたようわからないので、玄人っぽいおばさんに、教えを乞う。

三連単がいいのよん、といわれるままに、
近くのおじさんの投票権を肩越しに覗いて、
(①-②-④ね、、、、)

と、何も考えずに購入。

ドキドキ。

蓋をあけたら、一番人気のオッズ8.7倍でドンピシャ当確。

100円かけたから、870円戻ってきて、770円getしました。

次は競馬なんていいですね。

2010年8月10日火曜日

主にロシア語な一学期でした。(・ё・)

久々の更新。
一学期を振り返ります。

クルッ。

あー言った手前、ロシア語きちんとしないとまずいよな、
ということで、五月三十日にロシア語検定を受検。

ロシア語検定は4,3,2,1級があり、四級は、英検で言うところの四級くらい。まんまか。
単数形の格変化を押さえつつ、基礎的な単語の発音アクセントも覚えつつ、且つ動詞の語法もそれなりに習得すれば受かる。難しそうに聞こえるかもしれないが、そうでもないので、無事に合格。ホッ。

四級だし、落ちたら笑えない。過去問四年分+参考書で計6年分解いて臨んだので、万が一落ちることはないだろうと思ってたが、露訳に案外てこずり、採点が厳しかったらoutだったかもしれない。結果オーライ。

実際点数はかなりよかったので、先生が若干驚いていた。たぶん、「そもそも第二外国語選択なので、わざわざ検定試験受ける人あんまいない」→「落ちる人もいる」という図式なのかな。

10月に三級受けますw

そして、七月四日、「全国ロシア語コンクール」参加。
ロシア語にもスピーチコンテストってあるのかなぁ、、、
って軽い気持ちでググッたら、

ポツン


と、所在なさげにあるのを発見。

もっと調べてみると、
去年の参加人数は17人、、、

ゴクリ、

こ、これは出るしかない!

締め切り二週間前に存在を知ったので、
辞書とにらめっこして、原稿作って、
先生に添削してもらい、というかほぼすべて直され(悲しき哉

まぁ、ここまでは特に変なところはない。

問題はですね、スピーチコンテストではない。というかスピーチが余興に思えてくることをしてしまった。

---------

スピーチコンテストは午後にあるのだが、午前の部に、前座として「アトラクション」なるものがある。
希望者が、ロシア民謡歌ったり、バラライカ(民族楽器)弾いたり、詩の朗読したりという、
つまり歌って踊ってスピーチの前に景気づけようという企画です。

で、何故かそれに参加することになった。

nomyoと。w

普通は、さっきいってように、ロシアの伝統的な歌や楽器を披露する場、という暗黙の了解があるのだが、それではつまらないので、

「nomyoアトラクションでたら、バンドやってたじゃん。」

「いやいや」

「ロシア民謡うたえばいいんじゃないw」

「それはちょっとw」

「じゃあさ、旧ソ連を皮肉る感じで、petshopboysのGO WESTのロシア語ヴァージョンでも歌えばいいんジャマイカ」

「あー、それはいいかもw」

「あ、でロシア語で歌えるの俺だけじゃん、、、、ハッ!」

という軽いノリで

”全国ロシア語コンクール”で”旧ソ連を皮肉るというバカなこと”を、”ロシア語で歌おう(英語の曲)”という、無謀というか頭悪い子!、もとい頭悪いことをしてきました。

nomyoはトラックをつくり、

僕はロシア語版の歌詞を探す。(先生の手を借りました。ありがとうございます。)

本番の前々日に渋谷のスタジオでコーラスのサンプリングをし、合わせ練習が結局ほとんど出来ずじまいで、本番。

アンプすらないちんけな会場で、安っぽいCDラジカセから流れる、なんか場にあわない西海岸風のイントロ。

そして俺歌詞きちんと覚えきっていない!

でも、終盤、盛り上がって、手拍子も始まった時は、

個人的に感動。

人前で歌うのが初めてだというのに(合唱コンクールとかじゃなくて)、なんか無茶なことをしたが、いい経験になったな、と。

もちろん、全てはnomyoのおかげです。

この場を借りて改めて感謝。陳謝。謝々。спасива!

で、建築の話。

第一課題。烏口。枯らす愚痴。愚痴もでない。グーの音もでない。
まんどい課題だけど、やるのとやらないのでは、違う。
力入れずにやって、十分な評価。


第二課題。街並みスタディ。
見本コピッてトレースするのは、さすがにひいたw
同じく十分な評価。

第三課題。既存模型。
きよの器用さにあいた口がふさがらない。
現場合わせのだいじさと、ガイド厨になっちゃだめ、ってことをよーく学んだ。
あ、サヴォア邸ね。

第四課題。パース。
これもやらないのと、やるのではちがう。
でも、スケッチパース100枚、とかの課題でもいい気がした。

以上。

あ、ヘルプもたんまりしました。最後寝ちゃってすみません。

-------------------

夏の個人的課題。

①かたちの勉強。
②C言語の勉強
③春につくりかけたアルゴリズムの作成
④てんこうじんさんか。
⑤あ、あと、個人的にワークショップを開きたい、まだ未定。
⑥ハワイ、いくかも、、。
⑦運動
⑧余力があったら、常盤祭で出す文芸部の冊子にのっけるための短編一本。
⑨twitterは控えめに。

--------------------

地域社会圏を読んでおもったが、

あんまし言いにくいことだから、くわしくは言わないけど、

あれは”逆説的に正しい”んだろうな、と個人的に納得した。



以上!

2010年1月5日火曜日




















今年の年賀状。来年では旬を過ぎてしまうwitter仕様でした。

2009年11月19日木曜日

3*3*3

の課題は、どうも趣旨があっていなかったようでして、まあまあな評価でしたw
3*3*3の古本屋を提案したのだが、もっとインスタレーション的といいますか、仮設設計のような非居住空間が先生の念頭にあったらしい。しかしなんだかそれでは建築していないような気がして、というよりもぎちぎちの空間のなかでいかに設計できるかというところが、個人的なスタンスであった。
もっとも楽しんで作業できたし、設計だけでなく経営システムまで提案するという、広い意味での建築ができたはずだから、案外満足。模型が見栄え良く造れればよいですね。そこらへん世界堂とにらめっこしながら素材と相談しなくてはならない。


20h設計。一年実家組は一体どこで作業をすればいいのやら。

2009年11月14日土曜日

真空壁課題。3*3の壁を空間に挿入するのだけれど、「それモニュメントだよね」と一刀両断されてものすごいうれしかった、いや、勉強になった。ただ、なんで講評にあがるのかがよくわからない。ずっとわからない。うーん。
でもそういった判断は今ところ教授にすがればいい時期であると思うし、ほかの人が作ったものとどこが何の程度ことなるのかまだ的確に判定できないということは、自分の作ったものい対しても未熟な意見したもてていないということである。

話し変わって、本日nomioと一仕事を終える。近いうちに公開するので、その際は皆様宜しくお願いします。